高校必修科目の履修漏れ問題について

 全高校の約1割で必修科目の履修漏れがあったと言う。教育にしろ業務にしろ必要なことは実行され、不必要と思われることは実行されない。これは当たり前のことである。多分、今回の履修漏れは大半が進学校での話であろう。受験に必要の無い科目は実施しない。当たり前である。なぜ、こんなことになったのか、全ては教育のあり方を場当たり的に変えてきた旧文部省にある。

 昔、日本の教育について“詰め込み教育”との批判が高まり、“ゆとり教育”へと変更した。その当時、中教審には、柔道の山下氏をはじめ、多くの有名人が出席して、「一芸に秀でればよい」とか「だめな部分を補うより、優れた部分を延ばす教育を」とか、教育の専門家でない人々が言いたい放題言った。

 その改革の結果どうなったか。
 大学では、生物や化学を学んでいない医学部生が大学入学後に予備校で高校の生物や化学を学んだりと、学部教育に必須の高校教科を学んでいない者が入学すると言う異常な事態になった。また、大学入試に共通一次試験が導入されたのと、このゆとり教育への改悪の時期がどうなっているか、認識していないが、共通一次導入後に大学の授業についていけない生徒が現れ始めたと言う話も聞いている。

 我々が国立大学を受験した時期は、共通一次もセンター試験も無く、大学が独自に必要な科目を受験科目に設定していた。従って、大学入学後に必要な基礎知識が足りていないと言うことは無かったと思う。また、高校では、現在と科目構成が異なると思うが、選択科目なんて体育の柔道か、剣道かと、美術しかなかったのだから、他は全て必修であった。だから、理科では生物、地学、化学、物理、社会では世界史、日本史、倫理、公民だったか全部習った。

 社会に出たら分かるが、一芸だけで生きていける人間がどれだけいるか?我々凡人は皆、何でもしなければ生きていけない。技術屋が営業をやるのも当たり前なら、昨日までは化学、今日からは地学専門で飯食っていく必要も生じるかもしれない。測量会社に入社すれば、三角関数は必須だろうし、作業環境測定しようとしたら対数のことも知っておかねばならない。弁護士や裁判官なんて典型的な文系人間かもしれないが、彼らが業務をこなすにはやはり最先端とまではいかなくても種々の技術を理解するだけの理系的な基礎知識は必要だろう。

 私が比較的容易に種々の資格を取得できたのは、高校教育のおかげだと思っている。適当に詰め込んでもらったおかげで、これが一生使えるのである。有難い事だと思う。別に高校でがり勉した訳でもない。ちゃんとクラブにも入って、高校生活を楽しんだ。

 会社で勉強会をしている。20〜30代を相手に環境分析の勉強会。高校で学ぶ化学と物理程度の知識があれば、理解できる内容のはずだが、どうも今ひとつ生徒達の理解力が低い。高校で学んでいない様な感じ。化学も選択になっているのか?社会に出て役に立たない高校の勉強っていったい何なのか?「これ高校で習っただろう?」と言っても「・・・・・・」である。

 11月4日朝日新聞夕刊の「窓」欄に“教科書が薄すぎる?”の記事。高校生が数学や化学などの難問に挑む“国際科学オリンピック”の話なのだが、関係者が「日本の理科の教科書は薄いうえに必要なことをきちんと学べない、これでは高校生がかわいそう」と嘆いている。仮に教える内容が絞られていても、それを高校生が真に理解するには、解説は多い方が親切と言うものであろう。中学の教科書もしかりである。薄くて内容も無い。

 日本は基本的に技術で食っていくしか道の無い国である。その国の教育をここまでガタガタにした旧文部省の責任は思い。大学生の質も低い。やはり基本は中学、高校であろう。文部省が何かやるたびに教育がおかしくなって来た。その最初が共通一次試験であった。国が規制するたびに確実に教育がおかしくなった。我々が高校生の時、理科4科目、社会4科目から選択して受験に望んだ。通常、理系だと理科2科目、社会1科目が受験に必要だった。どれを選択するか、生徒が決める。従って、全ての教育を学校はしなければならなかった。今回の履修漏れなんて、ありようがなかったのである。履修漏れが起こりうる制度を作った旧文部省の責任である。 

 断っておくが、私は高校生全てに詰め込めと言っているのではない。学ぶべき人間に学ばせてないのがおかしいと言っているのである。少なくとも大学に進学しようとする人間が分数も出来ないではだめだろう。医学部に進む人間が生物を学んでないとか、建築に進む人間が物理も学んでないとしたら、これは異常以外の何物でもない。教育制度の完全な不備である。今はこの点は改善されているのか?

 通勤中に某高校生達と一緒になる。彼らの会話を聞いているとパチンコでどこの店が出ただの、中には薬物取引のような話をしている連中もいる。こういう生徒に詰め込めとは言わない。もっと別の教育が必要であろう。彼らは、ゆとり教育の中でゆとりを持ってろくでもないことをしているのである。

 日本を借金地獄、年金地獄の破綻寸前、いや完全に破綻しているのであるが、ここまで無計画な場当たり的な政治しかしなかった自民党歴代政権は、教育でも日本をガチャガチャにした。

 今回の履修漏れでも、いじめによる自殺問題でも全く機能しない教育委員会。教育委員会がやっていることと言えば、卒業式の君が代斉唱に起立しない教師の監視だけではないか。

 教育基本法改正や愛国心教育とか、訳の分からないことばかり言う自民党。愛国心があったらこんなでたらめな改悪行政をやるか?愛国心が無いから教育委員会はいじめによる自殺も隠して知らん振りしているのだろう。筑前町の中学校長も因果関係がまだ不明とか言ってごまかそうとする。死をもって彼らの罪を訴えようとした生徒の最後の行為も無視する校長と教育委員会。そして、いじめた中学生達は、自殺後に次の標的を見付けて次のいじめを行っていたそうではないか。この中学は完全に腐っている。その原因はこの校長と教育委員会にあるのは間違いない。

 死には死を持って償うしかないのである。いじめた生徒達がのほほんと次のいじめをやっている感覚に驚くが、それを許す校長を始めとした教師陣。教育委員会。全てが狂っている。死には死を持って償わせるしかない。

 仕事で田舎の中学に行った事がある。我々が測定機材を運んでいると生徒達が挨拶をする学校としない学校がある。小さな町なのに中学によって校風が全く違うことを経験した。この辺は校長の指導力の差かと思う。それにしても校長も教育委員会も日の丸や君が代に精力を注ぐ暇があったら、自分の学校の堕落した体たらくを何とかすべきであろう。

 一方、現場の先生達は大変だと思う。おかしな親が多い。価値観の多様化とか言うが、そうでは無く、そもそも年寄りどもが、おかしい。

 こう書き進めていると日本の将来について絶望的な気持ちになる。安倍政権も当てに出来ないし。日本はこのまま堕落国家になるのか。
 経済的には少々貧しくとも文化伝統を大切にして品格のある国民と国家。百年経っても無理だろうな。今のままでは永久に無理か。むなしいな〜。

(2006年11月5日記)

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